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  • 第246回 ~LNGの不都合な新説~の巻
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    第213回 ~日本にもいた石油王!中野貫一 ~の巻(2022年12月21日)

    あーあ、年末に向けてお金が出ていくばかり。僕も石油王になってお金持ちになりたいけど、日本じゃ無理だよね。

    あら、うさりん。実は日本にも「石油王」と呼ばれた人がいたのよ!

    えっ、本当に?詳しく聞かせて!

    中野貫一さんという人よ。1846年に金津村(現:新潟県新潟市秋葉区)の名主、中野家に生まれたの。中野家はもともと江戸時代から新津油田(新潟県)の石油事業に着手していたの。

    江戸時代から石油事業に携わっていたのか。江戸時代と明治時代で石油採掘に違う点はあるのかな?

    明治政府は1873年に、石油などの鉱物は政府の所有物で、採掘権も政府が所有するとした日本坑法という法律を定めたの。だから江戸時代のような独占的な採掘は禁止されてしまったわ。すると貫一さんはすぐに新潟県に許可を求め、法に則った採掘業を開始しているの。

    行動が早いんだね。

    そうね。ただ、貫一さんはその後日本坑法違反の疑いで、いっとき採掘を禁止されてしまうの。もっとも禁止の不当性を訴えて裁判に持ち込んで1891年には勝訴するの。

    行動力があるなあ!貫一さんはその後も採掘を続けたんだよね?

    そうよ。そして1903年には新津油田で商業規模の油田を掘り当てたの!それを機に機械堀を導入して事業の拡大に成功し、個人でありながら、日本石油・宝田石油に次ぐ第三の石油業者に成長したの!それが「石油王」と言われるゆえんね。また、1904年以降は会社を立ち上げて本格的な石油事業を行っているわ。

    そうなんだ。製油所も作ったのかな?

    いいえ。貫一さんの会社は石油採掘事業が専らで、精製業はほぼやらなかったようね。精製業を行う業者に原油を販売していたの。その人達のなかには、現在まで続く石油卸の創業者だったり、元売りの前身となる会社を作ったりした人がいるのよ。

    なるほど。貫一さんは日本の石油業の発展に多大な貢献をしたんだね。

    そうね。もっとも貫一さんの興した会社は戦時中に帝国石油に買収されてしまって、ここに中野家の近代の石油採掘業はいったん終わりを迎えたわ。ちなみに新津油田では1996年まで石油採掘業が行われていたのよ。現在では「石油の里」という形で中野家の邸宅と油井の跡地などが整備されているわ。

    勉強になったよ。ただよく考えてみれば脱炭素が進むなか、石油王への道は険しそうだね。やっぱり年末の宝くじで一発逆転を狙おうかな!

    まったくうさりんったら…

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    (文:原 )
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    中野貫一が初めて商業規模の油田を掘り当てた年はいつ?

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