第134回 (2021年12月22日)
「目はスマホ、耳にイヤホン、口(くち)マスク」の姿をした人々は、街中ですっかり見慣れた光景になった。スマホ、イヤホン、マスクぐらいは、カタカナで差し支えないが、コロナ禍でのカタカナ語の氾濫が凄まじい。ソーシャルディスタンス、ステイホーム、クラスター、ブースターなどだ。
象徴的な1つだったのが、今年の東京五輪で組織委員会が発表したモットー「United by Emotion」。委員会の参考訳は「感動で、わたしたちは一つになる」だ。これに対しては不自然な英語表現との批判が一部であり、曲りなりにも日々英語で業務をする筆者もすぐには理解できなかった。日本での開催なのだから、日本語で作り上げ、各国語に丁寧に翻訳する方法を選んでほしかった。
自戒を込めて、伝える側は奇を衒(てら)うよりも、受け手が理解しやすい言葉を適切に使用するべきではないか。伝える側が目新しい表現に走り過ぎてしまうと、上記の英語のように、真意が伝わりづらいばかりか、かえって受け手が混乱する結果に終わってしまわないだろうか。
こうした日本語を取り巻く状況は、未来の前兆かもしれない。日曜夜のテレビドラマを観ながら、筆者は「日本沈没よりも、日本語消滅のほうが早いのか」との思いに捉われたが、これが杞憂であってほしい。少なくともリムが、「マーケットはボラタイルだが、ディマンドはストロング」などという記事を配信することはないように心掛けていきたい。
(小屋敷)